中学入試 序盤の山場「東邦大東邦中」推薦入試を振り返る
12月から始まる中学入試
首都圏の中学入試は、まず年明け1月10日に埼玉県内の入試が解禁になり、次いで1月19日から千葉県内の中学入試解禁、そして2月1日から都内と神奈川が始まります。ほぼ1ヶ月超の日程になるわけですが、実は今月からすでに始まっている中学入試があります。
中学入試の解禁日については下記リンクより参照ください。
それは、「推薦入試」、「帰国生入試」です。これら一般向けでないタイプの募集は、正規の解禁日に先駆けて実施できるという特徴があり、学校としても生徒としても、早めに決めてしまえるという利点があって、利益が一致しているんですね。これら12月に実施される入試を総称して「12月入試」ということもあります。
東邦大東邦が推薦入試を新設
今年の12月入試の目玉は、何と言っても千葉県にある「東邦大東邦」の推薦入試でしょう。推薦といっても、なにか特別な賞を取っていたりする必要はなく、「自己推薦書」を書いて出すことが求められているくらいの条件しかありません。ただし、この入試は合格したら必ず進学することが求められています。したがって他県の生徒がお試しで受けるという、いわゆる1月入試のような現象はありません。
1月入試→首都圏全域から受験生が集まる→合格者の半数以上が入学しない→募集人員の数倍の合格者が出る
12月入試→地元の第一志望生しか受験しない→合格者の全員が入学する→募集人員ぴったりしか合格しない
という違いがあります。ですから、非常に狭き門になることは想像に難くないでしょう。
<データは学校HPで公表されているものです>
募集 男女30名
応募 男女638名(男子354名、女子284名)
受験 男女635名(男子353名、女子282名)
合格 男女30名(男子19名、女子11名)
実質倍率 21.17倍(合格率約4.7%)
と、大変な難関となりました。
入試問題について
入試問題は、例年の問題とよく似た傾向でした。記述式の問題は少なめで、よく練られた選択式の問題がメインです。この部分は、学校としての基本方針がきっちり貫かれています。
東邦大東邦の選択問題は、しっかり頭を使って考え、複数の条件を確実に検討しないと足をすくわれるというタイプの問題が多いのです。
下手な記述よりはるかに、受験生が頭を使っているかが分かる問題です。
もうひとつ言えるのは、例年の問題よりやや思考力重視に振れている印象があるということです。
どういうことかと言うと、特に社会科で見られる傾向ですが、知識そのものを問う問題よりも、提示された資料を分析し、それと自分の知識を総合して答えを導き出すような問題が多いということです。問われていることは基礎知識であっても、見せ方を少し変えて全く違う問題に見せるという工夫が随所に見られます。
とはいえ全体の難易度としては、例年の問題より若干易しめだったと思います。
学校発表のデータをみると、
合格最低点→213点(300点満点・算国各100、理社各50)=得点率71%
受験者平均点→159.5点(算54.5国57.3理19.6社28.2)
2016年春の前期入試の合格最低点は250点(400点満点・算国理社各100)でした。これは得点率62.5%ですから、今年の推薦の合格ライン71%というのは比較的高めです。
注目すべきは合格者平均と受験者平均の点差です。
点数にして 53.5点の開きがあります。これは、もちろん合格者と不合格者の得点差が開いているからで、ここから、実力が合格レベルに届かないチャレンジ層の受験者がかなり多かったのではないかということがうかがえます。例年の受験者平均点と合格最低点の開きは10点から20点くらいで収まっていることを考えると、これは大変な開きです。
つまり、合格レベルに達している層の受験者は一定数いて、それと同じくらいか、あるいはもっと多数のチャレンジ層がいるということです。そして、実際に合否に絡む線上にあがるのは、ほぼ合格レベル層のみというのが実態だったのではないかと思います。
今後の展開について
東邦大東邦中は、今回の推薦入試新設に合わせ、募集人員自体を30名増員していますので、前期・後期入試は例年通り行われます。
前期は前述したように、(市川や渋幕ほどではありませんが)首都圏全域から受験生が集まる入試になりますので、今回の推薦入試の影響はあまりないと思います。
また、同日に「第一志望入試」を行なっている、同じ千葉県内の昭和学院秀英中でも、例年高倍率を維持していることから、東邦大東邦の次年度以降もかなりの高倍率になることが予想されます。
昭和秀英は、今回同日に東邦大東邦が推薦入試をぶつけてきたことで、ある程度の受験者減を被りました。(例年13〜14倍、今回11.26倍)しかし、とは言っても10倍以上の倍率ですので、難易度はさほど変わらないでしょう。
男子校、女子校は時代遅れなのか 〜男女別学の是非を考える〜
私は男子校出身でした。
中学は普通の公立でしたが、高校は何を思ったか男子校に進学してしまったんですね。入学した瞬間から後悔がありまして、電車の中で見かける共学校の男女が仲よさそうにだべっているのを羨ましげな目で見ていたものです。
時代は間違いなく共学へと向かっているのでしょうか。
昨年は、有名どころでは法政第二が共学化しましたし、これまで同様の改革をした私学は数えればきりがありません。
有名校でもない限り、今時男子校、女子校では生徒が集まらないのでしょう。
しかし、この本ではその流れに警鐘が鳴らされています。
おおたとしまさという人は、教育ジャーナリストとして数多くの本を著している方です。このブログのなかでも何冊か紹介してきました。綿密な情報収集を行いながら、親の視点と教育現場の時点の双方を取り入れた書き方ができる人だと思います。
さて、上の2冊の本では、一部共通した部分があります。それは、男女別学にしたほうがいくつかの面で優れているということです。
・男子と女子では物事の理解の仕方が異なる。男子は全体をざっくりと把握してから細部に目を向けるが、女子は1から順番に1つずつ理解していく。
・男子と女子ではモチベーションの上がり方が異なる。男子はいきなり問題を提示して、「これ解ける?」とやると食いついてくる。女子はスモールステップで1つ1つ確認しながらやると、安心して集中する。
・上記により、男子と女子では物事の教え方を変える必要がある。
・思春期においては、異性の目がないほうがのびのびと自分らしさを発揮できる。男子は「モテる」ことを気にせず振る舞うことができ、心置きなくバカをやれる。女子は男子の冷やかしにあうことなく、自分のペースで物事に取り組むことができる。
など。
確かにそうだなあと思えることも多いながら、一概にそうとも言い切れないことはあると思います。「男子は」「女子は」という括りで語ってしまっていいのかとも思いますが、筆者はそれも織り込み済で語ってるところはありました。
海外の研究では、男女別学のほうが生徒間のトラブルが減り、成績も全体的に向上する、という成果がでているようです。イギリスではすでに共学校の男女別学化が数例あり、アメリカでは授業を別に受けさせるという取り組みも始まっているとのこと。最先端においてはむしろ別学化の方向であり、日本の共学志向は時代に逆行するかもしれません。
まあ。なんでも欧米の真似をすればいいという訳ではないでしょうが。
そう言えば、私は高校時代はまったくの朴念仁で、見栄えも良くなく、共学に行ってたとしても、まず彼女なんてできなかったでしょう。トラウマになるのがオチだったと思います。そんなことを思い起こすと、やっぱり男子校でよかったのかなと思います。
渋谷教育学園幕張から学ぶ
2016年春、東大合格者数で度肝を抜くような躍進ぶりを果たし、世間をあっと言わせた学校、渋谷教育学園幕張。飛ぶ鳥を落とす勢いに、この学校を扱った本はかなり出ていますが、今回はこの本を紹介します。
中学受験 注目校の素顔 渋谷教育学園幕張中学校・高等学校―――学校研究シリーズ009 (中学受験注目校の素顔 学校研究シリーズ)
- 作者: おおたとしまさ
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2015/10/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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東大76名という数字は、もはや頂点校の一角どころか、その中核を張るといっても過言ではなく、これからますます渋幕は難しくなるという予感というか確信というかが、だれの頭のなかにも腰をおろしたことでしょう。
遅ればせながらこの本を手に取ったのもそういう訳で、私は恥ずかしながら田村哲夫という方をこれまで全く知らずに過ごしてきました。渋幕、渋渋の校長にして数々の業績と肩書きを持つ教育者ですが、ちょうど良い意味での「エリートらしさ」を持つ人物だと思いました。見通しの壮大さと思考の緻密さを併せ持ち、自然と、嫌味なく人の上に立てる感じと言うのでしょうか。
私学のキャラクターは創立者と校長で決まるというのも、やっぱりそうだよなと思える話です。
さて、そんなに東大合格者が増えているんだから、さぞ手厚く勉強を見ているんでしょうと思われるでしょうが、実はそこまでのことはやっていません、みな生徒の自主性に任せているんですよ。
というのが、いわゆる「名門校」が口を揃えていうセリフであり、私などはそこにある種の天狗っぷりを感じ取ってしまうのだが、やはり渋幕も同じようなことを言っています。
いわゆる「自調自考」というやつですね。自ら調べ自ら学ぶ。これを本気で、普通に実践しているのがすごいとしか言いようがないのです。とはいえ、完全に生徒に丸投げをしているわけではなく、やらせるべきことはきっちりとやらせている、という印象を受けました。
いろんなアカデミックなことはやるし論文を書いたりもするけど、大学受験のために必要なことは労を惜しみません、という姿勢。そのあたりの合理的な考え方が、伝統校とは一線を画すところなのかなと思ったりします。
やっぱり海外の大学受験に通じているという点がうらやましい。学校が一丸となって生徒の海外留学を支援しているので、出願や面接の受け方などのノウハウが蓄積されている。だから受かりやすいし、生徒も行きたい大学に行ける可能性が高まる。普通の高校だったら、海外の大学なんてどういう仕組みなのか知ってる人はだれもいません。勢い自分で全て調べなくてはならず、それだけで大変だし色々な不安があります。
それらを学校で全部見てくれるというのは、生徒にとっては心強い限りだと思います。
名門校とは何か 「麻布中学と江原素六」から
麻布といえば、 戦後の新学制が始まってから一度も東大合格者ランキングで10位以下になったことがないという、言わずと知れた名門中の名門です。
自由どころか奔放とさえ言える校風と、「ドラえもん問題」に代表される一風変わった入試問題を作るなど、ユニークさに事欠かない逸話でもその名を轟かせています。
一部の企業の採用では、出身大学と同じくらい、出身中・高を重んじるという話もあるようで、たとえば開成から東大、麻布から東大、灘から東大では同じ東大でも能力や適性がまるで違うとのこと。
具体的にどう異なる物差しなのか大変興味深いところですが、それら名門と呼ばれる中・高が人格形成において強力な影響力を持つことを考えると、頷けることでもあります。
基本的に教員の異動がない私学では、創立者のキャラクターが今でも色濃く残っています。学校を知りたければ建学者を知れ、と言われるくらい、学校の方向性と校風を決める上で大変重大な役割を果たしているのです。
麻布の創立者、江原素六は旧幕臣の家に生まれ、赤貧を絵に描いたような貧乏御家人として育ち、学問で身を立てました。幕末の動乱期には幕軍に拠って戊辰戦争を戦い、明治になると旧幕臣の困窮を救うために奔走しました。
そういう人物なので、官僚嫌いは徹底していたようです。早くから野にあって人材を育て、民間の力で日本を盛り立てようとしていました。
麻布中は、前身を東洋英和学校といい、今の東洋英和女学院とおなじくミッションスクールでした。明治初期、日本が欧化政策を推し進め、文明開化ブームに沸いていたころ、ハイカラで英語教育に優れるキリスト教系学校は一世を風靡したそうです。
ところが、明治も後期になると、欧化ブームは去り、国家主義的な色合いが濃くなります。そのような時代の雰囲気の中で、徐々にミッション校は人気を落としていき、上級学校への推薦制度の枠からも外されるようになっていきます。
江原素六が校長になったのは、東洋英和学校が生徒募集に苦心し、経営が行き詰まってどうにもならなくなった時期でした。
学校を建て直すため、江原はミッションの看板を外し、普通教育を忠実に行う学校へと変身させます。ここからが「麻布」の始まりです。
自身がキリスト者であり、官による強制を嫌った江原をして、キリスト教教育を捨て、国の定める制度に従うということは、なんとも矛盾に満ちたことです。
自由奔放で特異な校風で知られる麻布でも、そのスタートは妥協と従属から始まったというのは、むしろ感慨深いエピソードと言えます。
どんなに高い理想を掲げていても、それを受け継いでくれる生徒が集まらなければしょうがない。柔軟さとある種の割り切りから、物事は始まるのだということかも知れません。
江原素六は、生徒に対しては過度とも言えるくらい寛大な姿勢を貫いた人物としても知られています。
遊郭帰りで朝帰りをした寄宿生を笑って許したとか、そういうエピソードがこれでもかと残っている。そういう創立者への敬慕が、麻布の自由の根源であると知ることができる本である。